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修道女 Santa Teresa 〜サンタテレサ〜

2018.07.21

イエスのテレサ(Santa Teresa de Jesús)または、 アヴィラのテレサ(Teresa de Ávila)と呼ばれる修道女をご存知ですか?神秘主義思想を持ち、16世紀のスペインにおけるローマ・カトリック教会改革に尽力した女性です。幼い頃は奔放で型にはまらない性格だった彼女が、その後イエス・キリストに一生を捧げ愛しぬいた記録について触れてみましょう。

 

(生い立ち)

1515年3月28日午前5時頃、産声をあげた Teresa Sánchez de Cepeda y Ahumada(本名:テレサ・サンチェス・デ・セペダ・イ・アウマーダ)は、2015年に彼女の生誕 500年を迎えました。キリスト教に改宗(conversoという)したユダヤ人の父親と貴族出身の母を持ち、父方の3人の連れ子とテレサを含むその後生まれた9人の子供との、計 12人兄弟の中で育ちました。

 

(2回の家出)

テレサは7才の時、自身の婿探しの目的で兄弟を連れてアフリカ大陸に渡ろうと計画します。彼女は少女期の時代から意志の強く、型にはまらない性格だったことが見られます。また1535年、20才の時には父親の許可なしに家出同然アビラにあるカルメル会の女子修道院に入信したのです。その時のことを後からテレサ自身、「実家を離れ、修道院へ向かった時は本当に不安でいっぱいだった。私の両親や友達への愛は、神の愛よりも大きかったということに気が付いたのです。」と語っている。

 

(騎士道の本に憧れて)

生まれて初めてテレサを修道院に連れて行ったのは、彼女の父親でした。絶対的な信頼を寄せていた母親を13才で亡くし失意の中、騎士道の本に夢中になることで現実逃避していた頃、彼女は聖人に関する本や、特に騎士道に関する本を愛読し、その中に出てくる貴族達の恋愛テクニックを駆使しては従兄弟を誘惑したのでした。テレサ曰く「みんなの目にコケテュッシュに映るようお化粧をしたものよ」。父親の心配をよそに奔放に生きる彼女は、ついに貴族の娘が多くいるアグスティネス・デ・グラシア・デ・アヴィラ修道院へ送られてしまいます。修道院では、彼女は病気に苦しみますが、そんな中でも「神が私に病気という試練を与えた」と捉え回復していきます。またテレサの回復期、叔父のペドロはサンヘロニモへの手紙を読み上げるなどして支えたのでした。

 

(早すぎる葬式)

27才のテレサは、エンカルナシオン修道院でその美しさとエネルギッシュな振る舞いで皆の注目を常に浴び、才能を開花させ何事も順調でした。しかし1538年再び病魔が彼女を襲い、危篤状態に陥り病院に運び込まれてしまいます。もう助からないかもしれない、そう考えた修道院はテレサの葬式の準備までしますが、4日後に奇跡的に回復、修道院に戻してもらうよう切望します。しかし戻ってからもしばらく手足不自由だったそうです。

 

(神秘的思想)

紆余曲折を経て修道院に戻ったテレサですが、すぐに実家の父親の看病のため実家へ戻らなければならず、2年ほど苦しい日々を過ごします。1554年に父親が亡くなり修道院に戻った彼女は、年齢よりも10才以上老けて見えたそうです。この時テレサ40才。「イエスのテレサが誕生し、第2の人生が始まった時期」と彼女は言ったといい、さらに修道院の仕事に没頭していきます。

 

(聖者達の間で)

闘病生活の間、恍惚状態を体験したことをきっかけにさらに神秘的な価値観を広げていくテレサは、1560年の初頭、のちの彼女の心の寄り所となるフランシスコ・ペドロ・デ・アルカンタラと知り合い落ち着きを取り戻します。このテレサの言う恍惚体験とは、彼女が自身に課した禁欲と受苦を喚起したために起こった現象ではないかと言われています。その姿はまるで泥酔状態あるいはトランス状態のごとしで、彼女の有様は人々を驚嘆させていたのです。また、彼女はイエス・キリストは肉体的には存在しなくとも、彼女の前には立ち現れると断言していました。そういった彼女の数々の所見を認めない人々や、悪魔を宿した修道女扱いをされ続け弾圧されるテレサを、第3代イエズス会総長フランシスコ・デ・ボルハが理解を示すのもこの時期のことです。

 

(20年の間に16の修道院を設立)

1562年8月24日、ローマ教皇であったピウス12世は、カルメル会を進展させるべくサンホセ・デ・アヴィラ修道院に4人の修道女を送り、20年の間でアヴィラ、メディーナ・デル・カンポ、マラゴン、バジャドリッド、トレド、パストラーナ、アルバ・デ・トルメス、セゴビア、ベアス・デ・セグーラ、セビージャ、からバカ、ビジャヌエバ・デ・ラ・ハラ、パレンシア、ソリア、グラナダやブルゴスと1計6もの修道院の設立を成し遂げたのでした。

 

(8つの著書と幾千もの手紙)

サンタ・テレサの後半の人生20年は執筆活動にも随分充てられました。Libro de la Vida、Camino de perfección、Meditaciones sobre los Cantares、Moradas del castillo interior、Exclamaciones、Fundaciones、Visita de Descalzas、Constituciones などが著書で、その他にも詩や数えないほどの手紙が残っていたと言われます。特に彼女の詩はキリストへの愛に溢れ情熱的であったそうです。

 

(追求と取り調べ)

カトリック教会改革を進めていくテレサ達に、1575年スペイン異端審問は彼女たちを弾圧、テレサに隠蔽生活を課します。そして、トレドにある聖ヨセフの修道院で過ごす彼女とその仲間たちを次々と裁判にかけていったのでした。数年後、ついに彼女の判決がスペイン王フェリペ2世の書面によって通告され、彼女は潔白を取り戻したのです。

 

(埋葬)

テレサは1582年の10月に亡くなったとされています。没後388年には、にローマ教皇庁から「教会博士」を授与されました。。彼女の著作における神秘主義思想は、多くの神学者たちの思想形成に大きな影響を与えたと言われています。