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マチュ・ピチュを発見したのは誰?

2018.07.28

Muy Historia Web記事より

多くの人がマチュ・ピチュ遺跡の発見者はハイラムビンガムだと思っているようだが、最近になって、すでに先着がいたという話が浮上している。

 

世界の七不思議のうちの1つとして知られるマチュ・ピチュは、19世紀後半から考古学者達にとっての聖地として、現在は遺跡観光の定番として良く知られている。しかし実は、この偉大なるマチュ・ピチュを一番最初に発見していたのは、クスコの農夫アグスティン・リサラガだったかもしれないそうなのだ。しかも、彼はハイラムビンガムの発見した1911年よりも9年早い1902年に発見していたという。そしてそれ以前の1894年にも一度訪れていたと言うのだ。失われたインカ帝国を見つけ出したのは彼らのうちのどちらなのか? のちに、この農夫の発見の事実を記した石版も故意に消されていたことがわかっているという。

 

1902年、アグスティン・リサラガは農地の開拓中に偶然、マチュ・ピチュ遺跡を発見したが、特に世間に知らしめることもなかった。ところが1911年ハイラムビンガムが発見し世間に発表したことで、一躍この「忘れられたインカ帝国」は注目を浴び、代わりにリサラガが「忘れられた発見者」となってしまったのである。実際1948年に出版された書籍「失われた町インカ」にはハイラムビンガムが第1発見者であると書かれてある。また、不遇にもその後リサラガはウルバンバ川を渡る際に水に飲み込まれて行方不明になってしまう。結局真実を確かめることなく闇に葬られた形となってしまった。

 

かの英国政治家ウィンストンチャーチルが言及した通り「歴史は勝者によって描かれる」を象徴しているかのような出来事である。もしリサラガが、マチュ・ピチュ遺跡の発見を大々的にしていたならば歴史は違っただろうか?いや、例えそうしていたとしても、ビンガムの様な「科学的発見者」を前に勝負は決まっていたのだろうか?歴史の影にすっかり隠れてしまっていた彼が、見直される時が来たのか・・・。

 

ハイラムビンガムは、アメリカの探検家。1911年7月24日山の上にあるマチュ・ピチュ遺跡第1発見者とされている。映画インディアナ・ジョーンズのモデルの1人とも言われている。