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住心地はいかが?-バルセロナのカサ・ミラ邸に住む女性のつぶやき

2019.07.05

毎年、100万人以上の観光客が訪れる建物にアナ・ビラドミューさんは住んでいます。その建物は、1926年に路面電車にひかれて亡くなった建築家、アントニオ・ガウディが手がけたカサ・ミラ邸です。

 

 

カサ・ミラ邸のまたの名は「ラ・ペドレラ(La Pedrera):石切場」。建物全体が石できていて、不規則に波打つような外観は、まるで石のかたまりに住むための穴をあけたような印象を与えます。中に入ると、上を見ても下を見ても変わった特徴を持つ建物であることがわかります。たとえば、入り口のタイル張りのパティオは海底の森のようで、屋上のテラスにはローマ時代の戦士の兜の形をした煙突が備えられています。

 

 

しかし、この建物に「住む」にはいくつかの実用上の問題があります。その1つがエレベーターにたどり着くまでが大変なこと。「上の階にある自分の家にたどり着くために、人をかき分けて行かないといけないことがよくあります。その間、人は私が列に割り込んだと思って怒鳴ってきたりします」とアナさん。「こういった状況は、特にスーパーから荷物を抱えて帰ってきたときは嬉しくないです。」

 

 

彼女の部屋は約350平方メートルの広々とした白壁の空間で、絶妙に家具が置かれ、大きな窓があります。ここに80年代から住んでいます。この建物が1984年に世界遺産に指定される前から彼女の夫はこの部屋を借りていて、そこに彼女が引っ越してきたわけです。

 

 

ガウディは1906年に実業家ペレ・ミラとその妻に依頼されて、当時からモダンでエレガントな通りであったパセオ・デ・グラシアに彼らの新しい家を立てることになったのでした。6年後に完成すると、ミラ夫妻はプリンシパルという部屋に住み、残りの部屋は賃貸住宅にされました。

 

 

カサ・ミラ邸は完成する前からバルセロナの話題の的でした。そして、不規則で非対称な外観が採石場に似ていることからラ・ペドレラというニックネームがつけられたのです。その独特のデザインは新聞に嘲笑されたり、訴訟の原因になったりしました。ガウディが建築許可より大きな家を建てたため、ミラ夫妻は罰金を払わなくてはならず、これも訴訟になりました。セジモン夫人は1964年に亡くなりましたが、夫の死後、カサ・ミラ邸を不動産会社に売却。他の建築家が洗濯室だった最上階のフロアを改装して賃貸住宅にしました。

 

 

アナさんは残り少ない住人の1人です。3月に『La última vecina(最後の住民)』という本を出版、ガウディの貴重な建築物の1つに住む経験や建物の歴史を語っています。余談として、ラ・ペドレラの観光資源としての価値に関わらず、賃貸料はここ30年変わらないそうです。「バルセロナの中心地の格別の場所に住むのに払うこのわずかな金額を考えると、他の場所に引っ越すなんて馬鹿げていると思うわ」

 

 

観光客の入場料は22ユーロで、ガウディが設計したアパートの1つを含めた建物の一部を見ることができます。しかし、中には境界を越えてくる観光客もいて、アナさんは自分の部屋の外に柵を置かざるを得なくなりました。「以前は、部屋の中を見たいからとベルを鳴らす人が絶えませんでした」でも、時々、見ず知らずの人に部屋を見せることもあるそう。「観光客が近づいてきて、おもしろそうな人だったら部屋を見せてあげるの」

 

 

アナさんは自分の経験をテレビ番組「Gran Hermano(大兄弟)」のようなものだと考えています。この番組は14人ほどの人が1つ屋根の下に暮らして、お風呂とトイレを除く全ての行動や会話がカメラで収録・放映されるというもの。バルコニーに出れば観光客に写真を撮られ、防犯カメラや、夕食の準備をしていると時折作動する煙探知機に監視されているアナさんの状況は、まさにその番組そっくり。ただし、世界遺産版の「Gran Hermano」です。

 

 

現在、ガウディはバルセロナ観光の中心となっており、彼の作品を見せるための努力が続けられています。たとえば、サグラダ・ファミリアに対して6月にようやく建築許可が下り、ガウディの死後100年に当たる2026年の完成を目指して工事が進められています。また、2年前にはガウディが建設した最初の邸宅カサ・ビセンスが博物館になっています。

 

 

現在はバルセロナとガウディの関係はとても密接なものになっていますが、それとは対象的に80年代は彼の作品にはほとんど関心が向けられていませんでした。実際、カサ・ミラ邸が売りに出されたときも買い手がなかなか見つからなかったのです。

 

 

最終的にカイシャ銀行が9億ペセタ、約620万ドル相当で1986年にカサ・ミラ邸を購入。改修を行って観光用に開放すると同時に、住民に賠償金を払うので立ち退いてもらえないかと持ちかけました。アナさんは著書の中で自分を最後の住民だと言っていますが、この申し出を拒否した住民は他にもいて、そのうちの2人は現在も居住中です。

 

 

ガウディはカサ・ミラ邸にエレベーターや水道など当時としては新しい設備を取入れました。また、地下に駐車場を持つバルセロナで最初の住宅の1つでもありました。地下の26のスペースに住民は自動車や馬車を置くことができました。現在はホールになっています。

 

 

しかしながら、ガウディのデザインは曲面の多用などに見られるように美しさを優先した面が目立つ、とアナさん。「この家にはまっすぐな壁が1つもないから、本棚を置こうなんて考えは持たなくなりました。ガウディははっきりとしたアイデアと強い人格を持つ人だったので、ここに住むためにはそれを尊重しないといけないのです」

 

 

ガウディの建物に住むということは、ガウディや建築が好きな人にはたまらないでしょうし、そうでなくても一度はしてみたい経験です。日常的な不便や観光客との関係など、大変な部分もあるようですが、ガウディのデザインを日々目にしながら広々とした空間で過ごせるのは、やはりうらやましい気がします。