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スペインの国章の起源と歴史

2019.07.01

スペインの国旗に描かれている国章。よく見てみるとなかなか細かくて複雑。
まずは描かれている個々のパーツの意味を確認しましょう。

 

 

王冠……スペイン国王のシンボル。

 

………国章中央の盾には、歴代スペイン王家の国章が6種描かれています。
A.カスティーリャ王国(左上)……3本の塔を持つ城
B.レオン王国(右上)……王冠をかぶった紫色のライオン
C.ブルボン家(中央)……フラ・ダ・リ(アイリスの花)の紋章
D.アラゴン王国(左下)……金と赤の縦縞模様
E.ナバラ王国(右下)……鎖状の十字とX字の交差
F.グラナダ王国(下)……ザクロの実と葉

 

ヘラクレスの柱……盾を挟んで左右の柱。王冠の形がそれぞれ異なります。
G.「PLUS ULTRA」……カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の標語。「さらに先へ」の意。
H. 左柱の王冠……カルロス1世の王冠。
I. 右柱の王冠……盾上部の王冠と同じ形。

 

 

国章の起源

原型は今から500年以上前の1475年からすでに存在していました。15世紀のスペインは、カスティーリャ=レオン王国による国土回復運動(レコンキスタ)の時代。キリスト教国としての威厳を示すため、当時の国章には、今はないキリスト教のシンボル「聖ヨハネの鷲」が盾全体を覆うように背後に描かれていました。そして今の国章にも引き継がれていますが、盾の中には2つの二大勢力(カスティーリャ王国の城とレオン王国のライオン)のシンボルが描かれています。国全体を包み込む聖なる鷲によって、当時いかにキリスト教の威光が重要視されていたかが読み取れます。

 

 

 

聖ヨハネの黒い鷲

この聖ヨハネのシンボルである光輪をつけた鷲は、カスティーリャのイザベル女王の決定により採用されました。女王がキリスト教の聖人の中でも特に聖ヨハネに強く惹かれていたからだといいます。その証拠にイザベル自身の個人的な表徴も、女王に即位する前からこの鷲です。 そして上の画像にはありませんが、国家の繁栄を祈願してラテン語で次のような言葉が付記されるようになりました:«sub umbra alarum tuarum protege nos»(あなたの翼の下で私たちをお護りください)、実際に15世紀当時の硬貨にはこの文言が書かれているのが確認できます。

 

もともとこの国章は、それより古い時代、13世紀の国王フェルナンド3世にインスピレーションを受けて創られたそうです。フェルナンド3世はカステーリャ王国の国王でしたが、レオン王で、かつ実父のアルフォンソ9世の死後にその王位を継いで、1230年からはレオン国王ともなり、カスティーリャとレオンの両国を最終的に統合しました。以後は国土回復運動を精力的に推進し、コルドバやグラナダのイスラム王国を屈服させるまでに至りました。のちの15世紀のイザベル女王の治世となって、再び国土回復運動でイスラム勢力と闘うにあたり、「聖王」フェルナンド3世にあやかって国章を創り、カスティーリャとレオンの両勢力をまとめるのは重要なことだったのです。

 

ところで城とライオンのシンボルの対のほかに、この時代から別のシンボルの対も確認できます。これはそれぞれアラゴン王国とシチリア王国の表徴です。シチリア王国の表徴は、現在はナバラ王国に置き換わっていますね。

 

 

ハプスブルク家──Plus Ultra(さらに先へ)

1516年にフェルナンド2世が崩御すると、スペインは諸勢力の統一性をなんとか保とうとするため、国章にもいろいろなバリエーションが生み出されました。現在の盾の左右にある「PLUS」(左)と「ULTRA」(右)の2つの旗は、ハプスブルク家のカルロス1世の標語で、のちに彼の甥であるカルロス5世によって追加されました。「PLUS  ULTRA」は直訳すると「さらに先へ、さらに端へ」。カルロス1世は大航海時代のスペイン帝国を統治していた人物で、さらに神聖ローマ皇帝カール5世でもあり、絶大な権力を誇った人物。世界の端から端までを制覇するのだ、という想いが込められています。後世の国章の変化で「PLUS  ULTRA」は一時期取り除かれますが、現在の国章には復活しています。

 

 

ブルボン家──フラ・ダ・リ

ハプスブルク家の衰退後にイベリア半島を支配したのがフランス系のブルボン家でした。18世紀の王位継承戦争に勝利したブルボン家は、フェリペ5世からその時代が幕開けます。この時代の国章は過去のハプスブルク家の威光を飲み込むかのように、ブルボン家の存在感をはっきりと示すようなデザインに変わりました。ブルボン家の表徴のフラ・ダ・リ(アイリスの花)がぐるりとスペイン王家の盾を取り囲むように描かれています。まるでフランス軍に包囲されたスペインの城のよう……。

 

 

19世紀〜現在

ブルボン王朝の治世以降も変更が繰り返されていた国章ですが、19世紀になってようやく今の国章に近いデザインが定まりました。1868年の9月革命から第一共和制に移行する時代です。盾の中にカステーリャ、レオン、アラゴン、ナバラの4つの表徴が大きく描かれ、その下にはグラナダの表徴のザクロが描かれ、取り除かれていた「PLUS ULTRA」の標記も復活しました。そしてブルボン王朝時代に盾を取り囲んでいたフラ・ダ・リは、青い小盾となってアルフォンソ13世の治世に中央に据えられました。この盾は現在の国章にもありますが、第二共和制とフランコ時代には取り除かれています。

フランコも独裁政権時代に、この国章にかなり手を加えました。随分昔に取り除かれていた聖ヨハネの黒い鷲を復活させ、そこに新たな標記«una, grande y libre»(ひとつ、巨大で自由)を設けます。そして盾の下部には新たなシンボル「くびきと矢」をつけます。これはカトリック両王イザベルとフェルナンド2世の象徴だったのですが、1934年以降には右派ファランへ党の象徴になっていました。

フランコ体制が崩れてから、現在の私たちが知るスペイン国章の姿となります。様々な表徴が組み合わされ、治世の変わり目と共に修正や変更が繰り返されてきた国章は、そのままスペインの歴史を表しているのですね。

 

 

デフォルメには要注意

スペインの国章はそれぞれの細かいパーツに歴史的・政治的な意味がありますが、加えて時代によって形が時には大胆に、時には微妙に変化しています。さらに厳密な形や色もきっちりと定められているのですが、これについてはスペイン人でも間違えることがあります。現に、1996年にスペインサッカー連盟が細かいところを間違えた国章のデザインで公式サッカーTシャツを出し、さらにそれがおよそ20年も発覚していなかった、ということがありました。実際に何を間違えていたのかというと:

 

1.中央のブルボン家の青い盾のサイズがおかしい(大きすぎる)

2. 左柱の王冠の形がおかしい(全く違うデザインになっている)

3. ヘラクレスの柱の形がおかしい(全く違うデザインになっている)

4. ヘラクレスの柱の下の波の形がおかしい(波状がはっきりしていない)

5. カスティーリャ王国の城がデフォルメされすぎている

6. アラゴン王国とナバラ王国の盾の下端は丸みを帯びていないといけないのに尖っている

7. グラナダのザクロがチューリップにしか見えない

8. ナバラ王国の鎖が原型を留めていない

9. 右柱の王冠の形がおかしい(中央の王冠と同じでなければならない)

 

……という間違いがボロボロ指摘されました。
多少のデフォルメについては賛否両論ありそうですが、グラナダのザクロがチューリップにしか見えないのは問題ですね。

 

古い国章もバリエーション豊富で見ているだけでも面白いので、皆さんもぜひ探してみてくださいね!