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セルバンテスの最期

2018.08.02

セルバンテスの最期について

 

“Miguel de Cervantes Saavedra” ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラは、スペインの作家で、小説  “Don Quijote de la Mancha”  ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの著者である。 騎士道をテーマとする物語の読み過ぎで現実と妄想の区別がつかなくなったアロンソ・キハーノというイダルゴ(郷士)が、自らをラ・マンチャのキホーテと名乗り幾多の冒険の旅に出かける喜劇の物語である。

 

1616年4月22日、現在では観光客が多く訪れることでも知られるフランコ通りとレオン通りの一角にある las Letras o barrio de las Musas 地区の、マドリードの三位一体修道院にて彼の永遠の眠りを祈る家族と友人数人、そして三位一体会の修道士達に見守られながら、彼の永遠の眠りを祈る一晩中通夜が行われた。68歳、糖尿病の悪化の末だった。

 

亡くなる数日前、執筆活動もままならなくなっていたセルバンテスは、最後の彼の作品でありレモ伯爵の為にしたためた小説 Los trabajos de Persiles y Sigismunda のプロローグを何とか書き終え、さらに自身の遺言状を弟子に口述し、記述を指示した。「私の頭は実にはっきりしているのだが、肉体は限界が近づいて来ている。刻々と迫りくる死が恐ろしい。あぁレモ伯爵よ、この詩を貴方に捧げよう」実際、彼の病状は悪化し、具合はますます悪くなる一方で、自宅のベッドで死に行く覚悟を決めるセルバンテスの最期の日々であった。

 

結局彼の埋葬には、ほんの一握りの家族や知り合いやしか参列していない。盛大な葬儀が行われた当時の作家とは真逆の最期だったのである。誰もがドン・キホーテの著者であるセルバンテスが貧しいただのイダルゴであるという事は知りえなかっただろう。彼の生前の意思で、三位一体修道院に埋葬される前の死ぬ間際、彼の頭に走馬灯のように浮かんだのは、かつてバルバリア海賊に襲われ捕虜になりアルジェで5年間の虜囚生活を送っていた彼と弟を、身代金を肩代わりして無事救い出してくれた修道士達への感謝の気持ちであった。