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スペイン人が発見、名付けたサンフランシスコの「アルカトラズ島」

2019.09.09

 

サンフランシスコ湾の沖、海岸から2キロほどのところに浮かぶアルカトラズ島(la isla de Alcatraz)。かつては刑務所が置かれ、「監獄島」や「The Rock (La Roca)」とも呼ばれています。晴れた日にはサンフランシスコの街から眺めることができ、遊覧フェリーで訪れることもできます。しかし、有名なこの島がスペイン人によって発見されたことはあまり知られていません。

 

最初にこの島についての記述が見られるのが1775年。スペインの海軍に属していたJuan Manuel de Ayalaがこの島を発見し、「isla de los alcatraces」と名付けたとあります。「alcatraz」は「海鳥」を意味し、この島にカモメなどの海鳥が多く生息していたところからこう名付けられたようです。

 

1770年代初め、スペインはサンフランシスコ湾の詳細や他国の施設の存在などを知るためにカリフォルニア北部の調査を進めていました。3隻の船がサン・ディエゴ湾に派遣され、そこから2隻の船がバハ・カリフォルニアとアルタ・カリフォルニアの調査に。Juan de Ayalaはそのうちの1隻San Carlos号を使用して、サン・ディエゴ、モントレー、カーメルなどのスペインの施設への物資の供給を担当。San Carlos号の使命は、スペインの船が安全に航海できるようにサンフランシスコ湾を調査し、詳細な海図を作ることでした。Ayalaはゴールデンゲートからサンフランシスコ湾を航海した最初のヨーロッパ人で、このときにアルカトラズ島を発見したのです。

 

 

スペインの軍事拠点として使用されたこの島は、メキシコの独立、米墨戦争を経て、アメリカ合衆国の領土に。アメリカ南北戦争時には重要な拠点として大砲が設置され、兵器庫として使用されました。その後、軍隊の刑務所として使用されるようになりました。海に囲まれ、潮の流れが速く、水温が低いため、脱獄が極めて難しい刑務所でした。1934年に連邦刑務所となり、1963年に閉鎖されるまでに約1,576人を収容。当時、組織犯罪が増加する中、政府は犯罪に対する確固とした姿勢を示すために、アルカトラズ島に凶悪犯を収容しました。その中にはギャングのアル・カポネ、マシンガン・ケリー、ロバート・ストラウドなどがいました。

 

アルカトラズ島の刑務所の歴史の中で、36人により14回の脱獄が試みられました。最も大規模だったのが「アルカトラズの戦闘」として知られる1946年の脱獄事件で、6人の囚人が看守から鍵を奪って逃亡しようとしましたが、銃撃戦となり脱獄は失敗に終わりました。もう1つはクリント・イーストウッド主演の映画で知られる「アルカトラズからの脱出」に描かれたフランク・モリスとアングリン兄弟による1962年の脱獄事件。逃げたフランク・モリス達は見つかっていません。2018年にFBIは2013年にジョン・アングリンによって書かれたと見られる手紙を公開しています。そこには、アングリンは健康状態が悪く、もし1年間受刑し、病気の治療を受けられるという条件なら居場所を伝えると書かれていたそうです。少なくとも彼は2013年までは生きていたということなので、脱獄は成功したと考えられます。

 

現在では、アルカトラズ島はアメリカ合衆国の国立公園の一部となっており、アルカトラズ島の監獄の内部を見学することもできます。サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフ近くの33埠頭からフェリーが出ています。スペイン人によって発見された島の歴史をたどってみるのも興味深いと思います。