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アインシュタインのスペイン滞在記録

2018.06.23

EL PAÍS2015年11月25日のWeb記事より

1923年、ドイツの理論物理学者アインシュタインはスペインの首都マドリードに2週間滞在した。焼き栗売りが彼に気が付いて「発明王万歳!」と声をかけた逸話があると語るのはアメリカの歴史学者トーマスグリックである。彼のスペイン滞在は、2月から3月にかけてのことで、バルセロナ、サラゴサ、マドリードで講義した彼はスペイン中で注目を浴び、どこに行っても有名人だった。しかし、ほんの一部の彼のことを知らない人たちにとっては「あの逆立った白髪の気取らない風貌の芸術家」としか感じられなかった様だ。(Heraldo de Aragónより)

 

1923年2月21日、アインシュタインは、フランス経由の汽車でバルセロナ入りした。その前年、彼は「光電効果の法則の発見」でノーベル賞を受賞、そして遡ること1919年にはすでに彼の「一般相対性理論」が正しいとイギリスでは認められていたので、彼の受賞には世界中が歓喜したのであった。しかし、そんな彼がバルセロナ駅に到着した時、誰も出迎えに行かなかったというのだ。実は、汽車の到着を誰にも告げていなかったのだ。そして、彼とその妻は誰にも気付かれることなく駅を降り、質素な滞在先のペンションに向かったのである。(Glick著書 Einstein y los españoles. Ciencia y sociedad en la España de estrefuerrasより)

 

そもそも1923年の滞在は、物理学者のEsteve Terradasと数学者のJulio Rey Pastorらによる招待で、バルセロナとマドリードでの講義の報酬に、大学教授の約2年間分の給料相当の7.000ペセタをアインシュタインに提示していたが、全く興味を示さなかったと、相対性理論を肯定した世界の物理学者の1人でHabrea de Jerusalén大学長でもあるHanoch Gutfreundは語っている。

 

1921年に数学者Rey Pastorが一度招待していたものの叶わず、2年後に実現した2か月の滞在は、ドイツの外相ヴァルター・ラーテナウが極右テロ組織に暗殺された少し後だった事もありアインシュタインにとっては、彼もテロ組織の標的であった為、身を隠す意味でも少しの間ドイツから離れることは最善な方法だったのであろう。ウォール街の帝王と呼ばれるジョン・ガットフレンドは語る。そして、アインシュタインは日本やパレスチナにも訪問した。

 

スペインでの滞在中、アインシュタインは皆の憧れのヒーロのごとしであった。しかし例の焼き栗売り同様、皆が皆、何故ゆえに彼が偉いのか判っていたかどうかは不明である。作家Julio Cambaは、1923年3月6日の新聞El Solで「彼の講義が行われた科学学部の講義室は、溢れんばかりの人と熱気と拍手で沸いており、皆憧れと尊敬の眼差しで彼を見つめていたが、もし彼への憧れの具体的な内容を聞かれたらちゃんと答えられる人は少ないかもしれない」と語っている。哲学者Joaquim Xirauはバルセロナでのアインシュタインの実際の講義を受けた1人である。何百人もの受講者がいる中で、4〜5人が彼の講義を完璧に理解していたと言う。残りのものは、何となく理解したか、あるいは全く訳がわからなかったに違いないと語る。

アインシュタインの世界は、あまりにも難解で多くの彼の理論に注釈を付けなければ理解され難かったようだ。3月15日、Heraldo de Aragón誌によると、彼がサラゴサに訪問した際のエピソードを書いている。夕食後、アラゴン地方の青年楽団が弾きにやって来てアインシュタインの前で演奏や踊りを披露した時の事だった。彼は、大変感動して青年楽団達にハグしたり額にキスをしたりしたのであった。アインシュタインの何とも興味深い人の心に残るエピソードの一つである。

 

3月2日のABC記事より、アインシュタインのこんな言葉がある。「口はセンシュアルなもの。血が通って赤い。いつも微笑む口元も、ある時は慈悲深いものになったり皮肉になったりする。どうやって説明したら良いのでしょう?」

 

実のところ、アインシュタインの訪問がスペインのサイエンス発展に役立ったかどうかは定かではない。フランコ体制は、決して彼のことを歓迎していた訳でもなかった。歴史家でアインシュタインと共同氏著書のAna Romero de Pablos氏は言う。「アインシュタインの訪問は、決してスペインの未来を変えた訳ではなく、皆ただただ賞賛していたのだった。」また、Instituto de Filosofía del CSICのRomero de Pablosは、1923年のスペインがアインシュタインのことを、「ほとんどの者が彼のセオリーを理解できずにいた。しかし彼は間違いなくスペイン国民のヒーローだった」と語っている。

 

アインシュタインに関するマンガを描くイラストレーターのLuis Bagaríaの作品の中に、父と子のユニークな会話がある。

—Dime papá, ¿hay alguien más sabio que Einstein? パパ、アインシュタインより賢い人っているの?

—Sí, hijo. ああ、いるよ。

—¿Quién?  誰?

—El que le entiende. 彼のことを理解できる者たちだよ

 

また、別のマンガでは、アインシュタインが「直線は存在しない、すべての線は曲がっている」のセオリーをもじって、男性が女性の体のラインに対して、「なんてボディラインなんだ!アインシュタイン万歳!」というイラストが描かれておりなんともユニークである。

 

1923年3月11日、偉大な発明家はスペイン訪問最後の地マドリードを後にした。生物学者Odón de Buenは、アインシュタインのスペイン文芸協会での最後のカンファレンスで、1923年9月のメキシコでの日食についての遠征を提案する際に、ぜひスペインに残って欲しいとも提案した。しかし彼の答えは「No 」だった。