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ナバーラのハビエル城

2018.07.17

今から約460年程前(1543年説と1549年説がある)スペインのナバーラ出身の宣教師 Francisco Javier フランシスコ・ザビエルとキリスト教職者の一行が鹿児島県、長崎に上陸した。1541年にポルトガルを出航してから、インドと東南アジアを回った後日本へ到着し、熱心な布教活動によって日本にキリスト教を定着させたのであった。

 

ナバーラ州はパンプローナの東、サングエサという町の丘の上にハビエル城がある。ハビエル城はバスク語で、etxeberri (新しい家という意味)がXavier(シャビエルと読む)となり、最終的にJavier(ハビエル)と呼ばれるようになった。この城は、前文の宣教師フランシスコ・ザビエル本人が生まれ育った彼の生家である。

 

1506年頃4月7日、フランシスコ・ザビエルは地方貴族の家に生まれた。彼は5人姉弟(兄2人、姉2人)の末っ子で父親が60歳の時の子であった。その後フランスとスペインの紛争で当時独立国であったナバーラがスペインに併合されてしまうと共に父親も失う。大学に進学し哲学を学ぶが、肉親を亡くしたことをきっかけに聖職者になることを志し、仲間たちとイエズス会を設立する。

 

そして、世界宣教を構想するイエズス会は、当時ポルトガル領だったインドのゴアにザビエルと教職者たちを派遣し、さらにアフリカやマラッカに渡り布教活動を続ける。そのマラッカで知り合った鹿児島出身のヤジロウという日本人と共に日本へ渡ることになるのである。

 

現代ですら、移動は大変な海外旅行である。必ず到着する確約もない過酷な船旅をして、強い使命感と責任感で日本へ辿り着いたザビエルに日本はどう映ったか。そして現在の日本におけるキリスト教の布教具合を知ったらどう感じるだろうか?