硬膜外麻酔を発見したスペイン人医師、フィデル・パヘス
2021.11.27
病気や怪我、出産などで麻酔を受けたことがある人は多いと思います。手術や処置の痛みを大きく軽減してくれる麻酔の存在は医療では欠かせないものになっています。背骨に針をさして麻酔を受けた人もいるかもしれません。
それが硬膜外麻酔だったら、スペイン人医師フィデル・パヘス・ミラベ(Fidel Pagés Miravé)の発見のおかげなのです。麻酔がなかった時代は治療を受けるために痛みに耐えないといけなかったのです。
硬膜外麻酔は脊椎(背骨)の中にある脊髄の近くの硬膜という膜の外側に薬液を注入して痛みを感じないようにする方法です。この硬膜麻酔の発見は20世紀の最も重要な発見の1つと言えるものです。
発見したフィデル・パヘスは、1886年、アラゴン州のウエスカで誕生。サラゴサで医学を勉強し、1908年に軍医に。1年後、北アフリカのリーフ戦争(スペイン・モロッコ戦争)での緊急事態のために海路北アフリカに向かい、1909年にメリジャの地に降り立ちます。
このとき、バランコ・デル・ロボ(狼の峡谷)での戦いでスペイン軍が敗北、街は戦乱による煙と騒音に包まれ、避難する人で溢れていました。フィデルは到着してわずか数時間後には手術室で治療にあたっていました。
敗北で軍の士気は大きく低下、負傷者は倒れた場所に長時間放置されたままの状態でした。最前線で負傷者の手当ができるようにフィデルは救急車部隊を編成し、医療体制と生存率が大きく向上しました。フィデルは多くの手術を行う中で、患者が痛みで苦しむのを目にして、麻酔に興味を持つようになったのです。
その後、いろいろな場所で働きながら、麻酔についての調査を続け、論文を発表し続けます。国際的な医学の会議にも参加し、彼の名前は知られるようになります。第一次世界大戦中、ドイツ語が堪能で戦場での経験が豊富な彼は、オーストリア・ハンガリーの捕虜収容所を視察することになります。滞在中、ウィーンの病院で多くの手術を行い、ドイツやオーストリアの医師と交流を深め、彼の麻酔の理論は次第に形になっていったようです。
大戦後、マドリードに戻った彼は長年の夢だった外科的治療の専門誌の発行を開始、自分の発見を共有していきます。そして、現在「硬膜外麻酔」として知られている方法についての論文をその専門誌に掲載します。
しかし、再びリーフ戦争でアフリカに赴任することになります。硬膜外麻酔を使い、不可能だと思われた患者の手術も行い、彼の手術を受けた患者の生存率は70%で、戦場での一般的な生存率よりかなり高かったようです。
ところが、彼を悲劇が襲います。1923年に休暇中に車の事故で即死。彼の麻酔についての理論は彼自身の専門誌にスペイン語で発表されていただけで、英語などでは発表しておらず、国際的な医学誌にも発表はしていませんでした。このため、彼の理論は評価されず忘れられていきます。
彼の死から10年後の1932年、イタリアの医師がフィデルの発見した硬膜外麻酔を自分が発見したかのように利用し、フィデルの名前ではなく、イタリア人医師の名前が知られるようになります。フィデルの名前は知られないままになるはずでした。しかし、1人のアルゼンチンの医師がフィデルの硬膜外麻酔についての論文を読んでいたことから、フィデルの名誉を回復すべく奮闘します。初めはイタリア人医師は否定していましたが、最終的にはフィデルの発見であることを認め、フィデルの発見が世界的に知られるようになりました。
2007年からスペインの防衛省では軍事医療の調査に対しての賞を授与しています。
フィデルの名前にちなんでフィデル・パヘス・ミラベ賞というそうです。