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「パリの解放」で闘ったスペイン人の名誉回復

2019.08.27

 今から75年前の1944年8月15日から25日の10日間、ナチス・ドイツ軍の占領からフランスの自由を取り戻すための「パリの解放」という闘いがありました。当時のフランスはドイツの傀儡であるヴィシー政権に支配されていました。これに対して蜂起した自由フランス軍やフランス国内軍らの連合軍がパリに進撃し、首都を奪還しました。フランスにとっては非常に重大な出来事であり、今年の8月25日には75周年を記念して当時の軍隊を再現したパレードが行われました。そしてこの「パリの解放」を巡って、フランスの隣国スペインが今回、スペイン人たちの功績を認めるように強く訴えました。というのも連合軍の中にはスペイン共和国の軍隊(内戦によってフランスに亡命した人々)も参加していたからです

 

「パリの解放」の記念祝典に関連して、スペインの女性法務大臣ドローレス・デルガドがパリへ訪問。彼女は市庁舎に隣接する庭園で、75年前の「パリの解放」に参戦した「La Nueve」という第9部隊の名前が書かれたプラカードを掲げ、その存在をアピールしました。そしてこの第9部隊こそが、1944年8月24日、他の連合軍の部隊よりも先に、初めてパリに突入した人たちだったのです。デルガドは、これまでもさまざまな代理人が、彼らの功績をもっと認めるように訴えてきたと述べました。

 

 集会に参加した関係者らの想いは強く、ついにはCNT(スペイン人民戦線)の代理人の1人が「ノー・パサラン!(奴らを通すな)」という反フランコ独裁政権を象徴する歴史的スローガンを唱え、拍手喝采が起きたほどでした。さらにデルガドはここに集った人たちに対して、演説でこのように述べました。「真実と、正義と、回復をかけて前進するために、民衆の力に訴えてくださってありがとう。時々、法律は社会よりも遅れを取るものです」。演説を聞いていた多くの人たちは、内戦期にフランスへ亡命したスペイン人たちの子孫でした。スペイン共和国のカラーであるライラック、赤、黄の旗を掲げている人たちも大勢いました。

 

 なぜ彼らが今回、このように力強くフランスに対して訴えているのかというと、2007年にスペインは「Ley de Memoria Histórica」(歴史の記憶に関する法律)を制定し、フランコ独裁政権下で犠牲となった人々の名誉回復に努めているからです。しかしこの法律は、制定後にはっきりと効力を発揮していない(弛緩している)という見方があり、だから今回の「パリの解放」で犠牲者たちの功績をフランス政府に認めてもらうことは、スペインにとって非常に重要な課題なのです。

 

 デルガドはさらにこのように唱えました。「75年前、自由の価値を守るために胸からまっすぐパリに突入した兵士たちは、1978年に制定された憲法によって今日、守られています」そして彼らとその子孫たちは「正しく認められるべきです。だからスペイン政府が今ここ(パリ)にいるのです」。

 

 これを受けてフランス側の反応ですが、パリ市長アンヌ・イダルゴは、第9部隊の兵士について、彼女の責任下でパリに彼らのための広場が設けられ、彼らの功績が認められるだろうと約束しました。イダルゴは「こんなことが可能なのは、パリだけです。パリは自由に議論ができる街だからです」と述べた上で「スペイン政府は今日ここに出席したことで、とても重要なサインを送ってきたと思います。もしここにいなかったら私たちは互いに不平を言い合っていたかもしれません。けれどもここに来て『歴史の記憶に関する法律』を変えたいと望んでくれました」とスペイン側を歓迎しました。なおイダルゴ本人もスペイン出身で、幼い頃に両親がフランコ独裁政権のスペインから亡命してフランスに逃れたという出自の人物です。

 

 次いで、デルガド法務大臣とイダルゴ市長は、マドリードの旧市庁舎から寄贈された彼らの功績を讃えるための記念版の除幕式を行いました。現市庁舎にはこの問題に対応する責任部門が今まで存在していませんでした。フランスとスペインの女性代表者の間で、第9部隊の両国側からの名誉回復のための巨大な記念版の除幕式が執り行われ、ひとつの庭園がスペインのアナーキスト兼小説家のフェデリカ・モンセニーに捧げられることになりました。モンセニーは、第二共和政の時代にスペインの大臣になった初めての女性でした。

 

 デルガドは今回の名誉回復について、彼ら第9部隊の兵士について「パリに到着した最初の人たちで、功績を認められた最後の人たちだった」と、歴史の影に取り残されてから、再びその存在を認められるまでに要した歳月の長さを悔やみました。

 

 今回の「パリの解放」を巡るパリとスペインの協定は、両国間にとっても歴史的に非常に重要なニュースだと思います。フランスには大勢のスペインからの亡命者の子孫が暮らしています。中には独裁政権下の悪夢を忘れるために、フランス生活ではスペイン語を自分の子供たちに教えることを拒んでいた人もいたそうです。これからもフランコ政権下で犠牲になった人たちと、その子孫の名誉回復のための運動がどんどん広がっていって欲しいですね。この件を巡る両国の代表者が共に女性であるということも印象的です。