知らないところに行ってみたいと思う気持ちは人間のDNAに刻まれているようです。それは、すでに聖書やホメロスの「オデュッセイア」にも現れています。けれど、仕事を休んで別の場所に行って休暇を楽しんだり、新しいことを知ったりするようになったのは、かなり最近になってからのこと。でも、スペインでは、みんなが思っているよりは早くから休暇を楽しんできたようです。
現在の観光は一大産業となっていますが、実際のところは「旅行したい」という常に人間が持っている願望を新しい形でとらえたものといえます。そして、観光における大きな変化は、産業革命と並行して進んできたのです。
交通手段は、かつてローマ人が街道を作ったように、スペインの人々が夏の休暇を楽しむために非常に重要な要素でした。「夏の休暇を楽しむ」という概念を作った国の1つにイギリスがあります。イギリスでは、17世紀、中上流階級の人々が「グランド・ツアー」と呼ばれるように、南へ下ってイタリアやフランスなどを訪れ、芸術や文化を楽しむようになりました。19世紀、鉄道が手頃な交通手段となったころ、トーマス・クックはスイスや、フランス、イタリアへのツアー旅行(グループでの旅行)を手配し、最初の旅行ガイドが発行され、温泉旅行に行くことがぜいたくではなくなりました。このような背景があって、休暇は一部の人々だけのものではなく、すべての人が楽しむものになっていったのです。
「多くの人が思っているのとは違って、スペインの労働階級はスペイン内戦以前から観光を楽しむようになっていた。第2共和制は特に観光を重視していて、ぜいたくなものではなく、多くの人が楽しむ「権利」にしたいと考えていた。しかし、混乱でうまく行かなかった」と考える専門家も。
また別の専門家は「当時、アメリカ合衆国ほど自動車は普及していなかったかもしれないが、バスなど大量の人が移動できる交通手段があったため、国内観光は比較的容易だった」と言います。
歴史家によると、bañista(海水浴客)、excursionista(見物客、ハイカー)、veraneo(夏休み)、veraneante(休暇を楽しむ人、観光客)といった言葉は1890年代にすでに新聞で使われ始めていたそうです。スペイン人が休暇を取り始めた1930年代、観光という言葉は、外国人がスペインの街やビーチに押し寄せることを意味してはいませんでした。当時のスペインは、外国からの旅行客が来てくれることを待ち望んでいたのです。
しかし、スペインは、スイスやフランス、イタリアのような外国人が多く訪れる国の仲間にはなかなかなれませんでした。1900年から1930年にかけて、スペインはリッチな旅行客の関心を引けず、サン・セバスティアンが唯一、夏の休暇を過ごす場所として成功していました。
Patronato Nacional del Turismo (PNT)は、現在のInstituto de Turismo de España (TURESPAÑA)(スペイン政府観光局)の前身で、1928年に創設されましたが、内線で姿を消しました。スペインのさまざまな場所の魅力を国内外の人々に紹介するのがPNTの業務でした。
1950年以降、労働者の権利が少しずつ認められるようになり、祝日や有給休暇、残業手当などが一般的になり、ヨーロッパの他の地域と同様にスペインでも夏休みが普及していきました。
そして、世界的な観光の中心になるというスペインの夢は現実となりました。そのブームが訪れたのはフランコ体制の時代。海外の旅行業者が顧客に提供する新しい旅行先を探しているところに、手つかずのビーチが多くあるスペインが目に留まったのです。フランコ政府もこれにすぐ気づき、またとないこの機会を利用しました。
こうして、スペイン人は海外からの観光客と休暇を過ごす場所を共有するようなりました。そして、スペイン人も海外で休暇をすごすようにもなりました。しかし、大衆化はこれ以前に進んでおり、すでに30年代にはコスタ・ブラバで観光に関する会議が開かれ、50年代、60年代には観光客向けアパートの概念も生まれていました。
近年の航空券の低価格化やAirbnbなどの新しいタイプの宿泊先の登場により、観光産業は食品や衣料の産業のような強大な産業になりつつあります。かつての観光大国になるというスペインの夢は実現され、問題が生じている部分もありますが、専門家は政府による規制などで問題は解決されていくだろうと楽観視しています。そして、夏の休暇を楽しむことはすばらしいことだと再認識されていくことになるでしょう。