午後5時、次々にやってくる若者たちはみなマエストロにきちんと挨拶していく。きちんと挨拶すること、人間としてのあり方を学ぶことも闘牛を学ぶ一環なのだ。「El Fundi」として知られる闘牛士José Pedro Pradoによる闘牛学校 José Cubero Yiyo で学ぶ彼らはマドリードのラス・ベンタス闘牛場で日々学んでいる。偉大な闘牛士たちが踏んだ同じ場所で学べる意味は大きいだろう。月に20ユーロを払い、闘牛士になる夢に向かってひたすら進めば、見習い闘牛士としてデビューできるだろう。そのときには他の費用もかかるが、牛の前に立ちたいなら不可能なことなどないはずだ。
でも、ここで1つの疑問が浮かぶ。この21世紀に誰が闘牛士になりたがるのか?ゲームのコンソールでいくらでも楽しめる時代に闘牛士になりたがる人がいるのか?答えは、「世の中にはいろんな人がいる。」
闘牛士になりたがる若者の生い立ちは20年前とあまり変わらないが、貧しい家庭からチャンスを求めてきていた昔の若者たちとは違っている。現在の若者はみな学校に通い、名声や富は長くは続かないことを理解しているという。「闘牛士のキャリアは運が良くて8年から10年」と元闘牛士のマエストロ。とはいうものの、やはり若い彼らの頭の中は、闘牛士になれば人生の大きな扉が開くということでいっぱいだ。
彼らの大半は中流か中下流の家庭の出身で、中には私立の学校に通っている者もいる。家族や親戚に闘牛ファンがいたり、闘牛士がいたりすることも多い。しかし、闘牛と何の関係もない家庭から、ふとしたきっかけで闘牛に魅せられてくる若者もいる。共通しているのは、闘牛が好きでたまらない点だ。人生は自分が楽しいことをして生きるべきだが、彼らにとってはそれが闘牛なのだ。数は少ないが女の子もいる。
スペインには闘牛学校が約50校ある。フランス、メキシコ、ポルトガル、コロンビアを含めると約60校あり、1,200人ほどの若者が学んでいる。多くが私立だが、公的な支援を受けている学校も約10%ある。アンダルシアは毎年闘牛学校に支援を行っている唯一の自治体だが、将来どうなるかは政治次第だ。政権が変われば支援が打ち切られるかもしれないという。
闘牛学校の数の増減の正確なデータはなく、そこで学ぶ生徒の数も正確にはわからない。しかし、はっきりしているのは、闘牛への風当たりが強くなっているということだ。文化省の統計によると、2007年から2016年の間に闘牛の開催は953件から387件に減っている。2006年には人口の9.8%が闘牛を見に行っていたが、2015年には6.9%になっている。
闘牛学校で学ぶのは闘牛のための技術だけではない。単に未来の闘牛士を育て、闘牛士という職業について教えるだけでなく、生きていく上で必要な道義、人間としてのあり方をまず教える。たとえば、生徒が最初に学ぶことは、闘牛場そして人生を誠実に歩いていくこと。闘牛士は自分自身、そして自分の職業を尊敬し、誇りに思うことが必要になる。次に、努力や物事に打ち込む能力、秩序や規律、忍耐、謙虚さ、忠誠、けがをした仲間の助け方、勇気、野心、伝統への愛、転び方、置き方、夢を持つこと、苦しい時期の乗り越え方などを学ぶ。学ぶ過程では精神的な成熟も要求される。それがあってこそ、闘牛に対する風当たりが強い状況でも闘牛に打ち込んでいけるのだろう。
闘牛学校の生徒に無神論者はほとんどいないという。「闘牛では努力と打ち込むことがすべて。どれだけ準備するかが大切で、幸運はその次。しかし、恐怖心を乗り越えるための何かは必要だ。」とマエストロ。信仰も大切な役割を果たしているようだ。