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Platero y yo 〜プラテーロと僕〜

“Platero y yo” は、アンダルシア州ウエルバ県のモゲールという田舎町で、ヒメネス少年の日記のような語り口で、ロバのプラテーロとの暮らしを美しく繊細に描いた物語です。作者のホアン・ラモン・ヒメネスは、スペイン近代文学の中でも代表的な作家であり、同じくその代表の一人である詩人ルベン・ダリオの影響も強く受けています。なお、本の題名は「プテーロとわたし」とも訳されています。

 

彼は1881年12月24日モゲールで誕生し、幼少期は成績優秀、その後セビリア大学に進みます。その頃から詩に傾倒し、1900年にはマドリードに移り住み、一番最初の著書を出版します。父の死をきっかけに心の病を患い闘病生活をやむなくされ、その療養後、モゲールで書かれた作品が「プラテーロと僕」です。1911年、健康を回復してマドリードに戻り、文学者活動を旺盛に進めるも、1936年のスペイン内戦勃によって、恋人の母国プエルトリコに移住することになります。

 

スペインの小学校の教科書にもよく取り上げられるこの作品は、実は幾つかバージョンがあって下記の文を読んでみて頂けると分かると思いますが、どちらも「プラテーロと僕」の原文の一部です。

 

●platero era pequeño, peludo, suave; tan blando por fuera que parecía que no tenía huesos, que era de algodón. Pero sus ojos, negros, eran como espejos de azabache – esa reluciente piedra negra- porque eran duros como dos escarabajos de cristal.

 

●Platero es pequeño , peludo, suave; tan blanco por fuera, que se diría todo de algodón, que no lleva huesos. Sólo los espejos de azabache de sus ojos son duros cual dos escarabajos de cristal negro.

 

上文が子供向け、下文が大人向けです。少しの違いですが、子供バージョンの方が読みやすいです。基本的に主人公のプラテーロへの愛情があふれたファンタジックな何章にも分かれた物語なのですが、最後、プラテーロの最期の場面とその後の彼のモノローグがとても穏やかで悲しく、思わず涙してしまう読者が多いようです。

 

プエルトリコ移住後は、大学教授を務めるなどしていたヒメネスですが、1958年5月29日、恋人に先立たれた2年後に彼も亡くなります。

 

最近、モゲールの彼の屋敷が 150,000,000ユーロ(約2億円)で売りに出されたというニュースが流れました。ホアン・ラモン・ヒメネスが避暑で訪れ「プラテーロと僕」を書いた家に値段が付くというのも驚きですが、空家の維持費が難しい上に買い手がつかない状況のようです。さらに、値段が「途方もない」と発する人までいて切ない現実です。どうか、著書の作品を愛する人に引き取られ、彼に関する作品の資料館か、ゆかりの博物館になって欲しいと強く願っています。

 

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