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近代闘牛発祥の地は、17世紀セゴビア?

 一昔前までスペイン文化の代表格だった「闘牛(コリーダ)」は、一体いつ定着したのでしょうか。現在もフェリア(お祭り)に伴い開催されている闘牛ですが、これはピカドール、バンデリリェロ、マタドールの三役三幕で構成され、さらに1つの興行で6回、計3名のマタドールが出場するのが通常です。馬に乗らない闘牛士が牡牛と対峙する形で遂行されるこの近代式闘牛は、ゴヤの時代、すなわち18世紀後半に確立したとこれまで唱えられていました。1943年に出版された闘牛解説の金字塔『コッシオ本(El Cossío)』において、はっきりと近代闘牛の興りは18世紀後半であるということが記されています。ところが最近の調査により、さらに時代を遡った17世紀からセゴビアにおいて近代式闘牛の原型ができあがっていたという事実が判明しました。スペインの文学者ゴンザロ・サントンハが自著『黄金世紀の闘牛:セゴビアのフィエスタ年代記』にて新発見を記述しています。

 

(ニュース出典:https://www.abc.es/cultura/teatros/abci-desde-cuando-celebran-corridas-toros-espana-201911252153_noticia.htmlより)

 

 

 

 

 それによると1634年から1679年、セゴビアの興行業者のフアン・ペレス・ボレゴンという人物が街中で行われる闘牛を主催。今でこそ闘牛は企業・団体などのスポンサーがついて一般大衆向けに開催される庶民のお祭りですが、徒歩闘牛が創始される以前は、もっぱら王侯貴族のための競技でした。だから今回の調査で発見されたボレゴンなる人物は、17世紀にして闘牛のプロモーターとなり街に経済効果をもたらしたという点で重要なのです。そして徒歩闘牛士も、この時代にすでに出場していたということが明らかになりました。サントンハ氏は今回出版した書にセゴビアの40名の闘牛士と30あまりの牧場主のリストをつけています。これまでの闘牛の歴史研究では、18世紀後半に庶民=徒歩闘牛士が誕生し、現代に到るまで発展していったというものが定説だったので、それを覆す大発見になります。18世紀後半説を打ち立てた『コッシオ本』が今後は旧説として取り扱われていく可能性があります。

 

 驚くべきことに17世紀のプロモーター、ボレゴンは、現代とそう違わぬ仕事を果たしていました。牡牛の囲い地を用意し、牡牛を選出し、徒歩闘牛士と契約しました。成果を出したマタドールあるいは牧場主は、翌年もフェリアで輝きました。今でいうバンデリリェロ(短銛役)に相応する役目の闘牛士もいました。闘牛全体を盛り上げるための音楽隊や舞踏隊が呼ばれることもありました。傷ついた闘牛士を救助する者もおりました。

 

 サントンハ氏は、セゴビアを中心地として17世紀に徒歩闘牛士を生業とする者が誕生したと結論づけました。そして現在の闘牛シーンで見られるものの原型がすでに約400年前に揃っていたこと明らかにしました。カポーテ、ムレータ、ピカドール、バンデリリェロ、マタドールの真実の瞬間……。そして重要なことですが、この17世紀の闘牛は王侯貴族たちの内輪の見世物ではなく、庶民たちのお祭り・フェリアの一部として広く開かれていました。

 

 今回、17世紀にルーツを持つと考えられた近代闘牛術が、21世紀にどこまで存続するかはまた別の問題だと思いますが、こうして歴史を紐解いていき、新事実が明らかになるのはとても新鮮ですね。ロンダやマドリードなどと並んで、セゴビアが今後は闘牛の歴史上で欠かせない重要拠点の1つとなっていくのでしょう。

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