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女王 María Teresa(マリアテレサ)

フランスのルイ14世の妻、María Teresa(マリアテレサ)妃をご存知ですか?

 

プラド美術館にあるベラスケスのラスメニーナスの絵画の主人公マルガリータ王女異母姉妹で、スペインからフランス王朝へ嫁いだの女性です。貴族の社交界に集まりがちな欲望と狡猾まみれの人種達とはほど遠い控えめな女性であったにも関わらず、激動の人生を歩みました。スペインとフランスを結びつける為だけの、ルイ14世との政略結婚で6人の子供を生んだたたくましさや(この時代の出産は命がけでした)、異国での言語や文化のを乗り越えた精神力は、まさに異文化交流が盛んな現代人の模範ともいえるでしょう

 

マリアテレサは1638年、フェリペ4世の最初の妻であるフランス人のイサベル・デ・ボルボンとの間に生まれました。イサベルが41歳で天然痘で亡くなるとすぐ、兄のバルタサール・カルロス王子も亡くなってしまいます。その他の兄弟もすでに他界していたことから、王朝は不安定な状態になりますが、マリア・テレサが王位継承を引き継ぐことはなく父のフェリペ4世は、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の娘マリアナと結婚し、2人の間にマルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャが生まれます。

このマルガリータが、ラスメニーナスの絵画の中央で女官達に囲まれている可愛らしい金髪の女の子です。この継母とマリアテレサの年齢は4歳しか違わなかった事もあり、関係は友好でマルガリータ王女のことも自分の子供の様に可愛がったそうです。

 

その後フランスのルイ14世に嫁ぎますが、嫁入り持参金未払い問題で、後に王位継承権を巡り国際戦争にまで発展してしまいます。本人は政治に興味が無かったため、カードゲームに明け暮れます。夫のルイ14世は、そんなマリアテレサを毛嫌いし、2人の第一子が生まれる頃には愛人を沢山作って2人は仮面夫婦となっていきます。外国へ嫁いだ上に厳しい状況に身を置く日々。現在の様にSNSのない時代に、彼女は一体どんな心境で過ごしていたのだろう?と想像してしまいますが、意外と楽観的で温厚な性格だったからこそ生きて行くことが出来たのかもしれません。

 

また、歴史上ではその控えめな存在感から「忘れられた女王」と呼ばれることもある彼女ですが、時代の影に隠れながらもスペインとフランスの外交を最後まで立派に果たしたスペインが誇るフランス女王なのです。

 

 

ディエゴ・ベラスケスによる王女マリア・テレサの肖像(1652-1653年)

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