現代スペインを代表する映画監督といえば、ペドロ・アルモドバル。1949年9月25日にカスティーリャ・ラ・マンチャ州シウダード・レアル県で生まれました。今日、彼は70歳の誕生日を迎えました。伝統を重んじる信心深い両親の元で育ったペドロ。父のアントニオ・アルモドバルはワインとオリーブの販売者で、母のフランシスカ・カバジェロは家政婦を勤めていました。幼少期にアルモドバルは司祭になることを期待され、カサレスのサレジオ会寄宿学校に入学しましたが、彼は幼心ながらにカトリック教育に「違和感 diferencía」を覚え、映画の世界に魅了されるようになりました。この時アルモドバルは、神父らの少年達への性的虐待を目撃し、その体験が映画『バッド・エデュケーション』(2004)に反映されているのは有名な話です。
映画を撮るという夢を叶えるため、17歳の時にアルモドバルは父の制止を振り切って家を飛び出しマドリードで暮らし始めました。映画専門学校で学びたいと考えましたが、当時のフランコ体制下で学校は封鎖されていたため、別の方法を探すしかありませんでした。大手通信会社テレフォニカで働きながら22歳の時に8mmカメラを購入して、1974年に初の短編映画を制作。フランコ体制下という時代情勢から公に自分の撮りたい映画の制作はできなかったので、「ロス・ゴリアードス」という映画制作グループを立ち上げて地下活動をしていました。さらに歌手で美術家ファビオ・マクナマラと組んでいくつかの楽曲制作もこの頃にしています。1980年、初の長編映画『ペピ、ルシ、ボンとその他大勢の女たち』を自主制作。この映画は、現在DVD化されていて、他のアルモドバル初期作品同様、日本でも入手可能です。アルモドバル映画には「酷い目にあっても最後はたくましく生きていく個性的な女性」がよく登場しますが、その端緒となる作品。若さというエネルギーか、この映画の登場人物はとにかくハチャメチャでカオス、目を覆いたくなるような変態的嗜好を見せつけてくれますが、直前まで長らくスペインを覆っていた独裁体制による文化衰退の背景を考えたら、むしろ新しい時代(民主主義の回復)の原点として評価して良いと思います。主役のペピはカルメン・マウラが演じ、彼女はアルモドバル映画初期〜中期の常連女優となっています。なおこの映画は封切後カルト的な人気を博しました。
この映画の成功後、生き辛い社会を生き、自分の欲望に忠実で、感情表現の豊かな女性たちに主にスポットライトを当てて、アルモドバルは独特のセンスを磨いていきます。『バチ当たりの修道院の最期』『グロリアの憂鬱』『神経衰弱ぎりぎりの女たち』『アタメ』……だいたいどれも、30年経った今見ても強烈で奔放で信じられない展開が待っています。服装もきらびやかで奇抜なバキバキの服に身を包んだ女性が多く、ファッション面から観ても面白いものばかり。1999年には代表作『オール・アバウト・マイ・マザー』を制作。女手ひとつで育ててきた愛息子を事故で失う悲劇から始まるこの映画は、アカデミー外国語映画賞、カンヌ国際映画祭監督賞、ゴーテルデングローブ賞外国語映画賞など、世界的な数々の賞を総なめにしました。2002年に制作した『トーク・トゥ・ハー』も国際的な評価を獲得し、この時からアルモドバルはスペインを代表する映画監督として名を馳せるようになりました。
さらにアルモドバル一家そのものが映画一家になりました。自分の映画に家族(母や姉妹たち)をカメオ出演させ、弟のアグスティンも映画プロデューサーになり、共同制作もしています。そして、お気に入りの俳優をなんども起用していることでも有名ですね。アントニオ・バンデラスやペネロペ・クルスはそれぞれスペインを代表する俳優・女優ですが、彼らのキャリアの重要な部分をアルモドバル作品が占めているのは言うまでもありません。
先月29日にはベネチア国際映画祭で、生涯功労賞を受賞したアルモドバル。その時のスピーチでも、民主主義が回復したポストフランコ期のスペインが自らの原点であったことを振り返っています。彼の作品をきっかけにスペインに魅了された人も多いのではないでしょうか?素晴らしいキャリアを重ねてきた映画界の巨匠、これからの活躍にも目が離せません!