ご存知の通り、イベリア半島はかつてローマ帝国の領地でしたから、その遺跡が各地に残されています。アンダルシアの都セビーリャは紀元前はヒスパリス(Hispalis)と呼ばれていましたが、この地で最近ローマ時代の新たな遺跡が発見されました。専門家の間では古代ヒスパリスの歴史を示すための大変重要な遺跡であると評価されています。何しろ見つかったのは、かの有名なカエサルがその道を通ってヒスパリスへと凱旋したアウグスタ街道跡だったからです。同じ場所ではローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス時代に築かれた巨大な建物跡も発見されました。世界中の古代ローマ好きを躍らせるニュースです。
遺跡が見つかったのはセビーリャの歴史的地区に面したラ・フロリダ通り沿いの建築用地。アウグスタ街道は幅40mもある大きな道で、その道に隣接して商業や港業のために使用されていた特徴を持つ巨大な建築物の残骸が発見されました。この建築物はアウグストゥスの治世に建てられたと推測され、長さは少なくとも150mもあり、高さは10〜12mで、2室の構成だったようです。セビーリャの考古学者ホセ・マヌエル・ロドリゲス・イダルゴ氏はこの遺跡発見についてヒスパリスにおけるローマ遺跡の発見史上「最もはっきりしている」と評価しています。ちなみにこの遺跡の予備調査は2006年から始まり、翌年から発掘が始まりました。その後で一旦中断されていましたが昨年の9月から再発掘調査が始まり、今年6月に完了しています。
■アウグスタ街道(La Vía Heraclea, La Vía Augusta)
アウグスタ街道はイベリア半島東部を南から北まで走る長い道です。イベリア半島を征服後にローマ帝国が建設し、南はカディスから北はローマまでを連絡していました。専門家たちの間では、この街道の経路上に現在のセビーリャがあることは知られていましたが、その痕跡はこれまで実際に見つかっていませんでした。今回の発見によって、ヒスパリスのアウグスタ街道の入口は、アウグストゥスの時代に、そこから数メートル離れた現セビーリャのルイス・モントト通りに移されていたということがわかりました。この通りはセビーリャの中心地までを繋いでおり、この地の古代ローマ水道橋「Caños de Carmona」のすぐ近くを平行に走る道です。
■見つかった柱廊跡
街道近くに見つかった遺跡の残骸ですが、この建物はギリシャで紀元前2世紀ごろに建てられたアッタロスの柱廊と近い形をしていたとのことです。いくつもの大きな柱が連なり、敷地面積が1000㎡以上はあった巨大な建築物でした。
■遺跡の規模
考古学者たちはこの地で発掘された遺跡の大きさに注目しています。このゾーンでは、同時代のさまざまな遺物が見つかっており、その総面積はなんと3000㎡以上はあるそうです。平らな土地で港で取れた漁獲物を商業のために保管するのに使用されていたと推定されています。他にもここでは宗教的な供物や食器、打ち付けられたサンダルなどの遺品が見つかっています。これだけの規模の遺跡は、イベリア半島の他の場所で見つかっている同時代の遺跡の中では類を見ないとのことで、ローマ帝国が栄えていた当時、ヒスパリスが大変賑やかな街だったことが伺えます。
ロドリゲス・イダルゴ氏によると、セビーリャ周辺の郊外の道もこのフィールド調査に寄与していて、それらはローマに至るまで掘り進められており、各時代の街道(ムデハル様式、中世、アルモアデ朝、前アルモアデ朝)を発見できるとのことです。これらが示していることは、少なくともセビーリャの郊外は、古代より都市計画がしっかりとなされていて、決して周縁地区的な場所ではなかったということです。
この歴史に寄り添う街道には、実はしっかりと下水道設備も備わっていました。さらにかつては凸凹道だったのですが、その難点も道を段々畑のようにすることで克服していました。こうした証拠からもこの地では古来から都市計画が着実にされていたことがわかります。実は発掘調査の初期段階では、この土地で発見されるものは「埋葬地」であった証拠だと予想されていたので、こんな歴史的に重要な街道が見つかるのは驚きのことだったそうです。偉大なる古代ローマの都市の発展を示す「非常に記念碑的な」遺跡として注目を浴びています。