2018年9月26日 ABC記事より
オセアニアにおけるヨーロッパの航海の功績は、一般的には第一に発見したというイギリスのものである。海洋探検家であるジェームス・クックによってオーストラリアは発見され、その地形が浮き彫りになり、次第にイギリスの統治領となっていった歴史の影には、実はLuis Váez de Torres、García Jofre de Loaisa、Juan Fernández、Pedro Fernández de Quirós らの4人のスペイン人がいたという。
1770年、ジュームス率いるエンデバー号(難破していたこの船は最近ロードアイランドで発見された)は、北緯40度線を目指して進み、のちにボタニーベイ(現在のシドニー)と名付けられた湾岸に上陸、島の輪郭を正確に測量して地図を作り、ヨーロッパに報告し注目を集めたことは有名である。16世紀頃、まだアリストテレスの地理学と共に南半球にも他の大陸があると信じられていた時代である。すでにフィリピンは発見されていたが、海洋探検家たちはさらに別の大陸を求め進んでいたのである。また、オーストラリアはその姿かたちははっきりと確認されてはいないものの、神秘的な「南の風の島」として、想像上の形で地図に記載されたりしていたのであった。
1982年、フランス国立図書館のキュレーターであるロジャーエルベは、16世紀にオーストラリアとニュージーランドはスペインとポルトガル人とで発見していたと発表した。16世紀半ばのディエッペ・コレクション(Colección Dieppe)によると、スペイン語で書かれたオーストラリアの地理が載った完璧な地図があったらしい。ジェームス・クック以前にオーストラリアに到着していたヨーロッパ人はやはりいたのだろうか。実際バヌアツ島(現バヌアツ共和国)へこのスペイン人4人が到達していたという書見もあるとのことで、ますますオーストラリア第一発見者はスペイン人だった可能性があるようにも思える。