バスクと聞けば、イベリア半島北部のスペインとフランスの国境に渡って存在するバスク地方が思い浮かぶと思います。
バスク人の言語であるバスク語(euskera)は他のどの言語にも似ていない孤立した言語と考えられており、食べ物や服装、祭りにも独特なものがあります。人々の結束が強く、独自の文化を守ろうとする思いも強いように思えます。
そのバスク人のコミュニティがアメリカ合衆国にも存在していると聞いたら、驚きませんか?
アメリカ合衆国の2000年の国勢調査によると、57,793人がバスク系と答えており、実際には10万人近くのバスク系の人が存在すると考えられています。バスク系の人々は、カリフォルニア州、アイダホ州、ネバダ州などアメリカ西部に集中しています。
確かに17世紀の大航海時代に多くのスペイン人が新大陸に向かいました。
その中にはバスク人もいたようですが、目的地は中南米がほとんどでした。
多くのバスク人がアメリカ合衆国に移住したのは、19世紀のカルリスタ戦争後、カリフォルニア州で金が発見された頃でした。ゴールドラッシュの時代です。その後もスペイン内戦などの影響で移住は続いていきましたが、ゴールドラッシュの頃ほど大規模ではありませんでした。
バスクの人たちは新天地を求めてアメリカ西部の金鉱山での仕事につきましたが、しばらくすると狩猟をしたり羊を育てて、その肉を鉱山の労働者に売る方が収入が良いことに気づき、羊飼いの仕事をするバスク人が増えていきました。1880年以降はほとんどのバスク人が羊飼いの仕事をするようになったのです。もともとヨーロッパでもバスクの人たちは羊飼いの仕事をしていたのですから、当然と言えば当然だったのでしょう。
ゴールドラッシュが下火になると、ネバダ州では法律により4年以上そこで働いた人はその土地の所有権を持つことができるようになったため、多くのバスク人が土地を所有して羊飼いの仕事を続けました。
現在でもアイダホ州はバスク文化との関係が深く、たとえばケッチャムのバスクコミュニティでは毎年10月には羊が主役の祭りが行われます。約3,000頭の羊が行進する祭りを見ようと多くの観光客が訪れます。アイダホ州にはバスク博物館があり、バスク料理のレストランなども多く、アメリカの中のバスクを体験できます。
イベリア半島から遠く海を隔てた場所のバスクコミュニティ。
多くの国の人がアメリカに移住しコミュニティを作っていることも多いので、珍しくはないのでしょうが、何も知らずにアメリカでバスク文化に出会ったら驚きますよね。
海を渡って生き抜いたバスクの人々に敬意を表したいと思います。