日本語で「棒」のつくことわざといえば、「犬も歩けば棒に当たる」が思いつく人が多いと思います。
「出しゃばりすぎると思わぬ災難にあう、行動を起こすと幸運が巡ってくる」という2つの意味で使われ、最近は幸運が巡ってくるというポジティブな意味で使われることが多いそうです。
さて、スペイン語にもpalo(棒、棒切れ)のつく表現がたくさんあります。
日本語に似たものがあるでしょうか。見ていきましょう!
– De tal palo tal astilla
意味「蛙の子は蛙」
直訳「この棒からこの木片」
子供の能力や性質は親に似るものだという意味を表しています。
平凡な親からは平凡な子供しか生まれない、というネガティブな意味で使われることが多いようです。スペイン語では「棒」がたとえに使われているところが面白いですね。
– En casa de herrero, cuchillo de palo
意味「紺屋の白袴、医者の不養生」
直訳「鍛冶屋の家に木のナイフ」
他人のことで忙しくて自分のことまで手が回らないことを意味していますが、これも日本語のことわざにそっくりなものがありますね。
スペイン語では鍛冶屋がたとえになっていて「鍛冶屋の仕事が忙しすぎて、自分の家のナイフを作る時間もない」ということを示しています。
– Dar palos de ciego
意味「どうしたらいいかわからずに手探りで進む、考えなしに行動する」
直訳「目が見えないままに棒を振り回す」
これは、目隠しをしてスイカ割りをしているシーンを想像するとわかりやすいと思います。
目が見えないので、目標のスイカにはなかなか到達せずにあっちへ行ったりこっちへ行ったりしますね。でも、周りの状況がわからないままに進むのは危険です。
そんな人がいたら「Deberías dejar de dar palos de ciego.」と言ってあげてください。
– Que cada palo aguante su vela
意味「各自が自分がしたことに対して責任を持つべきだ」
直訳「どのマスト(帆柱)も帆に耐えるべきだ」
この場合のpaloは船の「マスト、帆柱」を、velaは「帆」を意味しています。
船のマストは風を受ける帆の力に耐えないといけません。
それと同様、人間も自分のことに責任を持っていかないといけないということを意味しています。
人生は航海によくたとえられるので、船のマストのイメージも理解できる気がしますね。
– No dar palo al agua
意味「何もしない、怠け者」
直訳「棒を水に入れない」
この表現の起源は「船」にあるそうです。昔の船は人が漕ぐ力で進んでいました。
でも、漕ぎ手が疲れて漕げなくなると、オール(櫂)が水に届かなくなります。
この場合のpaloは「オール(櫂)」を意味しています。
「棒を水に入れない=船を漕がない=怠け者」となるわけです。
「棒」に結びつくものがスペイン語と日本語で違うところが面白いですね。
でも、意味としてはどれも納得できると思います。
どの表現も日常的に使われるので、覚えておくと便利です。